— 舌下 (@hogextend) 2019年3月9日
広告の代わりにCPUを借りて徳をためる
— 舌下 (@hogextend) 2019年3月9日
11000まできっちり回せ……
— 舌下 (@hogextend) 2019年3月9日
マニ車 分間7000回転 タコメータ付き 最新機種 シガーライター対応 USBハブ 3年保証 Nintendo Switch動作確認済
— 舌下 (@hogextend) 2019年3月9日
修行が違法にならないことを祈っています。
最近わかってきた。
もっと対処方法ほしい。単に作業を終わらせられたら済むのに、そうはならないところが難しい。
拡張機能「twitter画像原寸ボタン」v2.2 を公開しました。取り急ぎのアップデートなので、完全ではないかもしれないことを念頭において利用ください。
今回のレイアウト変更で、 jQuery から React へ、ごっそり変わったような雰囲気です (ちゃんと調べていませんが、div#react-root
という要素があったので多分そうでしょう)。要素のクラス名は機械的な感じになり(多分UIのライブラリとか)、とても人間が読むものではなくなってしまったので、含んでいる要素と当たっているスタイルで意味を類推するようなことをしています。
結構大きな変更だし、カナリアリリースな感じなので、今後ちょこちょこと変更があるのではと踏んでいます。 Original ボタンがすぐに居なくなってしまうかもしれませんが、僕も忙しい時期に居り、すぐには対応できないこともあります。できたらやるので、不具合等は Chrome ウェブストアのサポート欄などに報告いただけたら幸いです。
論理と直感がつっかう例として、数学の有用性があると思っている。最近何かと話題だけれど、時折顔を出しては納得されずに立ち消える話題である。
ところで僕の家族は皆少し文系寄りで、こと算数/数学に対しては"学校で習った"という以上の興味を持っていない。
そこへきて、例えば"工夫する"計算を教えたとすると、そうなんだ、で話が終わる。12の2乗は、10かける14に4を足すのだ、と言ったところで、確かにそうかもね、と言われる。
答えを確かめたりしないときもあるし、いずれにせよ何故そうなるかなど気にも留めない。だから応用できないし、使えないから面白いとも役立つとも思わない、というのがパターンである。論理を置き去りにして、よくわからないから不要、という直感に従ってしまうのだと思う。
より一般的な話をすると、3つのドアから当たりを選ぶ確率の問題は有名だろう。
解答者が最初にひとつ選ぶと、出題者は残りの2つのうち、外れをひとつ開けてくれるのだ。すると当たりは、既に選んでいるドアか、残りのうち開けられなかった方のドアである。このとき解答者は、選択を変えた方が得か?というのが問題だ。答えは、"変えた方が得"である。
これは直感に対して強く反発する。選んだ時点での確率が比較されるので、1/3と2/3になるからなのだけれど、論理として説明されても納得できないことが多いので、より直感に寄り添う例がよく挙げられる。3つのドアではなく、100のドアではどうか、という例だ。解答者がひとつ選ぶと、出題者は残りの99のうち、外れを98開けてくれる。100あるうちから適当に選んだドアより、99の中で残されたひとつのドアの方が、当たりかも知れないと思えることだろう。
これを聞いて、なるほど面白いと思えたなら、少しは数学というものが役に立つという気持ちになると思う。ただ、見ている限りでは(統計をとったわけではないけれど)、悔しいとかわからないとか、理解を放棄してしまう様子が多く見受けられる。マジックを見せられて、タネも見せられたけれど、そんなのできっこないよ、と言って明後日を向いてしまうような感覚に感じられる。
して理解できないのが悪いかという話は難しい。理解できた方が、様々な問題を解決できるだろうことは確かではある。でもそれ以上に得手不得手というものがあるので、それを良い悪いとは言い難いと思う(僕も難しい数学についてはわからないことが沢山ある)。大事なのは多分、"直感が誤っていることもある"というのを知って、そして念頭に置くことだろう。
元のエントリと話がずれてすみません。